最近のグラムシ研究の紹介/ 会員の研究成果

By staff on 2013/01/15 10:44
本書の主要部分である『獄中ノート』の諸問題を扱った後半の第4・5・6章(ベラミー執筆)の特徴のひとつはグラムシに対する批判的論調の激しさである。その例をいくつか挙げてみよう。
① グラムシは「正統派マルクス主義の教義を機械的に解釈していたわけではないとしても、それらからの影響の趣が彼の学説の底流にあったことにはかわりがない」(166ページ)。
② グラムシは「世界の倫理的非合理性」(ウェーバー)の意味を理解していない(166ページ)。
③ グラムシの「現代の君主」論の実現には「全体主義的政治」を必要とする(209ページ)。
④ グラムシの「急進民主主義」はユートピア的であり、その解決のために「技術面の権威への服従」をグラムシは主張した(251ページ)。
このようなグラムシへの批判的言及は他にも少なからずあるが、その基調は「グラムシの見解の多くは救いようのないほど過去のものとなっていてもはやわれわれには共有しえない」点にあるが(268ページ)、ここではベラミーのグラムシ批判の特徴を示す以上の4点を検討してみたい。

1 グラムシと「正統派マルクス主義」問題

ベラミーはグラムシの見解の「大きな困難」としてつぎの点をあげている。それは、グラムシは「クローチェの宗教的な神霊信仰と似通った進歩主義的な目的論」に依拠しており、したがって「生産様式の漸進的な開示、資本主義の最終的な危機、そしてまた人類の解放を一身に引き受ける普遍的階級としてのプロレタリアートの地位、に関するマルクスの同類のテーゼへの信頼」を支えとしており、「正統派マルクス主義の教義を機械的に解釈していたわけではないにしても、それらからの影響の趣が彼の学説の底流にあったことは変わりがないのである」としている(166ページ)。しかしながら「正統派マルクス主義」の内容をベラミーは明示していないので論旨が曖昧になっている。もしそれが当時の第二インター系の実証主義的・社会進化論的「マルクス主義」を意味するのであれば、グラムシはそれを実証主義に影響された経済決定論的な「俗流マルクス主義」として批判した多くの草稿を残している。またその潮流のイタリアの代表的な研究者であったA・ロリア批判の重要な草稿も複数執筆している。ベラミーもロリアのマルクス主義解釈が「実証主義の伝統と混ざり合っていた」(131ページ)とのべており、さらにグラムシはロリアの「物質的生産力」概念が「科学技術」に一面化されているとして、つまり「技術主義」として批判していたことに言及しているにもかかわらず(155ページ)、「それらからの影響」がグラムシの「学説の底流にあった」と断定することは矛盾した見解といわざるをえない。また「正統派マルクス主義」がプレハーノフや第三インター系のマルクス主義を含意するのであれば、グラムシはブハーリンをその理論的代表者とする潮流の経済決定論的な解釈や資本主義的「危機」の直線的深化を意味する「全般的危機」論などにたいして根本的な批判的考察を「第11ノート」(いわゆる「ブハーリン・ノート」)や「第22ノート」(「アメリカニズムとフォード主義」)で展開していることは明らかである。グラムシは「マルクス文献」の獄中での翻訳・研究(「第7ノート」冒頭)を契機のひとつとしていわゆる「正統派マルクス主義」の批判的考察を深めていくが、そこには上述の諸見解への批判が含まれており、グラムシの「学説の底流」にあったのは、ベラミーが言うごとく「それらの影響」ではなく、それらの諸見解への根本的批判であったことは明らかと考える。またベラミーの見解には前述の諸「ノート」などに収録されている重要な草稿がほとんど検討されていない。つまり後述の論点にも共通するが内在的な「テキスト分析」が欠落しているのである。

2 グラムシと「世界の倫理的非合理性」

ベラミーは、グラムシが自己の理論にかかわる「大きな困難の種―認知的・倫理的な合理性と道具的・実体的な理性との合成―のことで彼がまったく悩んでいなかったのも説明がつく。グラムシは、価値や目標をめぐって意見が食い違うのは結局のところ、われわれのおかれた歴史的状況について、あるいはこれをとことん利用するための裁量の手段について、十分に認識していないからだと思い込んでいた。彼には、ウェーバーのいう『世界の倫理的非合理性』の意味が……わからなかったのである」と述べている(166ページ)。ウェーバーの「世界の倫理的非合理性」とは『職業としての政治』の「責任倫理と心情倫理の対立」の個所にある表現である。要約するとウェーバーは、両者の対立は「底知れぬほど深い対立」であり、心情倫理家は「暴力廃絶のための暴力」的な言説に陥りやすく、したがって「心情倫理家はこの世の倫理的非合理性に耐えられない」のであり、「人は(予見しうる)結果の責任を負うべき」とする「責任倫理」的発想とは「深い対立」があると述べている。ベラミーはこの個所を根拠にグラムシは「世界の倫理的非合理性」の意味を理解し得なかった、と断定している(『職業としての政治』、岩波文庫、88-92ページ参照)。つまりグラムシも「心情の炎を絶えず新しく燃え上がらせ」、「純粋な心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者にではなく、世間のほうに、他人のおろかさや―こういう人間を作った神の意志のほうにあると考える」心情倫理の矛盾のなかにいたということであろう。ベラミーはそこからさらに飛躍して、つまり歴史的行為における「責任倫理」の次元を超えて、「人生と芸術においてそれなりに意義のある立派な物事の背後には往々にして非合理的な、あるいは少なくとも不合理な諸力が潜んでいるものだ」として問題を個人的かつ心理的次元にすり替えており、ウェーバーの論旨からも「逸脱」している。またそこから再度飛躍して「たいていの人々の日常的な経験や重大な政治的決断の大多数は、相互に比較し得ない二つの善のなかからの難渋苦渋しながらの選択を不可欠の要素としているのだ」と強調しているが、このことこそグラムシが重視した点に他ならない。というのはグラムシは「常識論(コモン・センス)」、民衆意識、フォークロア、サバルタン(従属的社会集団)などの考察において、歴史的諸条件に規定ないし制約された民衆各層(サバルタン諸集団)の意識と行為における非合理的・不合理的要素を重視しているからである。民衆各層の日常意識や行為準則には非合理・不合理的要素が少なからず含有されており、それが日常意識と行為とのずれや亀裂を生み出したり、常識のなかの積極的要素としての良識(ボン・センス)形成の阻害要因となっていることをグラムシは常識論やサバルタン論などの草稿で持続的に検討しているが、ベラミーはこの点を全く見落としている。なお補足しておけば「世界の倫理的非合理性」の問題は、グラムシにおいては「歴史主義」的地盤のうえに再定礎されて、古代人の世界観や自然観、さらには中世的な迷信等々が混在する化合物(アマルガム)たる「常識(コモン・センス)」のなかに含まれる「健全な核」を「良識(ボン・センス)」へと精錬していく「知的道徳的改革」論の考察の比重が『獄中ノート』の中期から後期にかけて増大していくということを指摘しておきたい。

3 「現代の君主」と「全体主義」

ベラミーは第5章でグラムシのヘゲモニー概念の「二重の意味」の検討において、グラムシの見解が第一には「彼の時代の正統派マルクス主義の議論」つまり生産力主義的見解によって「下支え」されており、さらに第二には「史的唯物論とクローチェの歴史主義を融合」しようと試みたが、結局は「歴史主義が究極的には史的唯物論に従属させられ、不幸な結末を迎えた」と主張している。「正統派マルクス主義」の意味はなにか? すでにふれたように、それが第二インター系のマルクス主義を指すのであればグラムシは「俗流マルクス主義」批判の諸草稿で根本的に批判していることをベラミーは軽視ないし無視している。またグラムシにおける生産力、生産関係(とくに生産の社会的諸関係)についての議論(フォード主義論や経済主義批判など)を無視してグラムシを「生産力主義」として短絡的に批判しているのではないかという疑義が生じてくる。
ベラミーはグラムシの「国家-市民社会」の把握において次の論点を示している。
(1)「グラムシの新秩序は国家の衰滅というマルクスの未来像と多くの類似点を有しているが、そこには極めて大きな違いも存在する……」。著者はグラムシの見解が「倫理的国家の可能性の理論化に関する特殊イタリア的伝統の文脈」に関連付ければ説明可能としているが、疑問である。国家・市民社会の統一的把握(広義国家論)というグラムシの視点は、特殊イタリア的伝統というよりも、当時の「俗流唯物論」批判はもとより国家を暴力的支配装置に単純化した「第三インター的(スターリン的)国家論」批判の要素が強いからである。つまり「政治社会プラス市民社会、強制の鎧を着けたヘゲモニーとしての国家」論は、「国家概念の刷新と拡張」とともに「政治社会の市民社会への再吸収」および「ソチエタ・レゴラータ(自己規律的・自己統治的社会)」(訳者は「調整された社会」としているがグラムシの含意を反映したとはいえず、疑問である)形成へと展開し、いわゆる「国家死滅論」から「市民社会への再吸収論」へとマルクス国家論を発展させているのであり「イタリア的伝統」のみに還元できない理論的意義であることは明白といえよう。なお付言しておけば「リソルジメント国家」にかんする歴史的分析(受動的革命論、トラスフォルミズム論など)もたしかにイタリアの歴史的事例分析という意味では「イタリア的伝統」の解明という側面をもっていることは明らかだが、グラムシはそこにとどまらず社会変革の根本的な展開を阻止し「上からの」国民国家形成の一般的ヘゲモニーにかかわる問題(新旧支配集団の妥協など)として位置づけていることをベラミーは無視ないし軽視しているのではないか。「特殊と普遍」「個別と全体」という弁証法的視点があれば、両者の相互関係がより明確になると考えるが(国家理論と国家の歴史的存在様式との関係など)著者は両者の統一というより分離の視点のほうが強く、グラムシの見解を「特殊イタリア的な」文脈のみに単純化しているといえよう。
(2)ベラミーはグラムシの見解が「生産の効率性を同じように強調しているという点で、第三インターの見解に近いものであった。……多くの場合両者間の違いは実質的な戦略に関わるというよりもむしろ戦術に関することであった」と主張している(200ページ)。資本主義的危機の直線的深化論を象徴する「全般的危機」論、そこから導出される「社会ファシズム」論や「機動戦型革命論」などはたんなる「戦術論」次元の問題ではなく「国家論」や「社会構成体」論や社会変革論(社会革命の理論的探求)を含む重要な理論問題であったことはこれまでの諸研究で明らかである。つまり著者にとってグラムシの見解は「特殊イタリア的な文脈」に基くものであるとともに、「第三インター」の見解、それも「戦術」にかかわる見解に近いものであった、ということになる。つまりベラミーの見解を要約すれば、グラムシの見解は第一に「特殊イタリア的文脈」にもとづき(つまり理論的共通性や普遍性は弱く)、第二に「第三インター」的な見解に近く、第三にそれも「戦略」ではなく「戦術」的なものであった、というきわめて一面的なものになっている。
著者は「革命的ヘゲモニー」について論じた個所(200ページ)で、グラムシの「現代の君主論」は「全体主義的政治」に結びつくと主張している。その根拠として著者は「マキァヴェッリ・ノート(ノート13)」の第一草稿の最終パラグラフの一部のみを引用しているので前後の文脈が曖昧となっている。ここでは同パラグラフの全文を紹介しておきたい。

(「現代の君主」論にとって-引用者)つぎの二点が基本である。つまり国民的-民衆的集合的意思の形成であり、現代の君主はその組織者であると同時に能動的で活力のある表現である。そしてさらに知的道徳的改革であり、この二点が作品の構造を形成すべきであろう。……先行する経済改革がなければ、社会的地位や経済世界における変化がなければ、文化的改革は、そえゆえ抑圧された社会的諸階層の市民的向上は存在しうるであろうか? つまり知的道徳的改革は、経済改革の政綱と結合せざるをえないし、経済改革の政綱こそがまさにあらゆる知的道徳的改革の具体的様式なのである。現代の君主は、その発展において知的道徳的改革の全体系を転換する……(ベラミーが引用しているのはこの個所のみである。同書208ページ)。

同上の部分も最終部が引用では不自然に途中でカットされている。その全文は以下の通りである。「君主は、意識において神または定言命令の位置を占めるが、それは現代的な世俗主義の土台となり、全生活とあらゆる慣習にかかわる諸関係を全面的に世俗化するための土台となるのである」。
ベラミーは同草稿の一部のみを引用し、さらにその文章も重要個所をカットすることで、強引に「全体主義的政治」へと関連づけようとしているのは明白であろう。グラムシがこの草稿で強調しているのは「国民的‐民衆的集合的意志」の形成者および「知的道徳的改革」の推進者としての「現代の君主」=政党の役割についてであり、政党のヘゲモニー形成機能の独自の意義についてである。グラムシにとって政党はたんなる利益代表的なものではなく「世界観政党」であった。強力な精神的ヘゲモニー装置であるヴァチカンや「俗界の教皇」たるクローチェにたいして(クローチェについては「知的道徳的改革」において果たした役割をグラムシは高く評価している)「世界観」レヴェルでのヘゲモニー闘争を推進し「現代的な世俗主義の土台」を固め、「全生活とあらゆる慣習にかかわる諸関係を全面的に世俗化」する「知的道徳的改革」こそ「現代の君主」の基本的役割であることを強調した文章であることは明らかであるといえよう。「世界観政党」の思想的・哲学的基盤としての「実践の哲学」が「全体性」を問題にするのは当然のことであり、そのことをもってグラムシの見解が「全体主義的政治」を必要としていたかのように断定するのは短絡的といわざるをえない。
さらに著者は「全体主義的政治」という目的の達成のためには「党員を外部の文化的組織体と結びつけているすべての糸を引き裂く」だけでなく「他のすべての組織体を破壊すること、あるいは党のみによって調整される体系のなかにそれらを組み入れること」をグラムシが主張したと述べている。しかしながらグラムシがこの草稿(「第6ノート」草稿136B)で述べているのはベラミーの論旨と正反対である。つまりこの草稿を要約すると「一社会集団の他の住民にたいするヘゲモニー装置(あるいは市民社会)」が「統治的-強制的装置としての狭義の国家の基盤である」という点つまり「国家=政治社会プラス市民社会、強制の鎧を着けたヘゲモニー」としてのグラムシ国家論を示す表現のあとに「全体主義的政治がめざすのは……」というパラグラフが続いている。グラムシは獄中の検閲を配慮して慎重な表現をしているが、この草稿全体を読めばグラムシの含意はファシズム体制の全体主義的政治の特質を指摘していることは明白であり、上記の二点もそのような文脈で理解することが肝要であり、ベラミーは自己の見解を正当化するためにグラムシの同草稿の含意を歪曲しているといわざるをえない。なおこのパラグラフの最後に著者は「法と慣習」問題に言及している。この個所の出所は、「知的道徳的改革」と「法と慣習」および「市民社会の諸活動」との相互関係について検討を含む重要な草稿であるが(「ノート13」草稿7C)、著者にはそのような視点はなく、国家が「最終的には調整的な行政装置へと衰退するはずであった」と結論付けているが、一面的な見解といわざるをえない(209ページ)。というのは著者は言及していないが、グラムシには「慣習と法」について論じた重要な草稿があり(「ノート6」草稿98B)、グラムシはそこで次のように述べている。つまり法もまた支配集団のヘゲモニー関係の反映に他ならず、従属的社会集団(サバルタン)が既存の法規範を無条件に受容するのではなく(法規範における順応主義=コンフォルミズムに陥るのではなく)、あらゆる大衆組織が「法と慣習」をめぐる「立法的議論をもたらすことの必要性」を強調しているのである。つまり「法と慣習」の問題もヘゲモニー論的視点から位置づけることの重要性を強調しているのである。さらに「順応主義」問題も支配集団からの従属的社会集団を「順応」させるための「順応主義」という側面だけでなく、従属的社会集団が支配集団に「押し付け」「順応させる」という意味での「順応主義」という側面をもっていることを補足しておきたい。

4 グラムシの「新秩序」観

ベラミーは「グラムシによって採用されたたぐいの急進民主主義」が「市民たちの側での全知、全能、そしてまた天使のごとき正確さにも依拠するものである」つまりユートピア的なものであるとしつつ、(しかしながらこの「急進民主主義」の内容について彼は説明していない)、「これらの困難を避けることを目指してグラムシは、技術面の権威に服従する必要があると主張した」と述べている(251ページ)。著者はその論拠としてつぎの草稿を引用している。「規律は、個性や自由を無効にしたりはしない。『個性と自由』の問題が提起されるのは、規律が既成事実となっているからでなしに、『規律の背後に権力の源泉が隠されている』からなのである……」(「ノート14」草稿48B)。ベラミーはこの草稿を論拠に「急進民主主義」について「グラムシが希求したたぐいの民主主義が可能となるのは、それが生産様式から発生して専門の技術者から言い渡されるもろもろのノルマの同化を契機とした、厳格な自己規律をともなうかぎりのことでしかなかったのである」と主張しているがこれは重大な誤りである。彼はこの草稿の論旨を「新秩序」つまり将来の国家・市民社会にかかわるものとしているがグラムシの論旨はそうではない。というのはこの草稿のタイトルは「有機的集中制、民主的集中制、規律」であり、したがって政党の組織原則、規律を論じたものであり、ベラミーはそれを「国家と市民社会」関係を含む「新秩序」問題と錯誤したのである。「『個性と自由』の問題が提起されるのは……」の個所は、政党の規律が「有機的」であればそれは政党の「民主主義的秩序にとっての、自由にとっての、不可欠の要素となる」というのがグラムシの論旨である(「ノート6」草稿84B)。前述の草稿は「ノート14」のものであるが、その前提となる草稿は「ノート13」の草稿である。グラムシは「現代の君主」としての政党論の探求の中で「有機的集中制」にふれている。「『有機性』は民主集中制にのみ存在するものであり、民主集中制とはいわば運動する『集中制』である……」。とりわけ従属的社会集団(サバルタン)を代表する政党はこの「有機性」を重視する必要がある。「民主集中の思想からひとつの弾力性のある定式が生まれ、その具体化は多様である。……その定式とは、表面の不一致のなかの等しいもの、およびその逆に、表面の一致のなかの違ったもの、または反対のものを、批判的に研究し、同類のものを組織し、固く結合させるということである」(「ノート13」草稿36C)。
以上からも明らかなようにベラミーは、その草稿が何を主題として執筆されたかというテキスト分析の基本も無視し、草稿の内容を歪曲し、自己の見解に強引に当てはめていることは明らかである。しかも草稿の内容と照合して自己の仮説を検証するのではなく、逆にグラムシの見解を「見事な詭弁In a fine piece of sophistry」とまで断言しているのには唖然とせざるをえない(251ページ)。詭弁というのは「人を欺くために意識的に行なう論理上の虚偽」(『岩波哲学小辞典』)のことであるが、詭弁的な論法を使ったのはグラムシではなくベラミーのほうであることは明らかであろう。
グラムシにとって社会変革の展望は「経済学批判・序言」のグラムシ的解釈にもとづき(それは社会構成体の「断絶」と「飛躍」ではなく、その内在的移行と質的発展を基調とするものであったが)、「数世紀を要する」過程である「国家の市民社会への再吸収」・「自己規律的・自己統治的社会形成」はそのような展望のなかで位置づけられ、したがって従属的社会諸集団(サバルタン諸集団)のサバルタン性の克服、自律性の形成が重要な課題となる。その意味で「ノート25(サバルタン・ノート)」はベラミーの仮説を検証する上でも重要な「ノート」であると考えるが、彼はこの重要な「ノート」を全く検討していない。
ベラミーの議論をフォローしていくと、「受動的革命」論、「トラスフォルミズモ」論などにかんする重要な草稿や関連「ノート」(「ノート19」や「ノート22」など)の検討を抜きにして彼の見解が主張されていることが少なくない。グラムシの引用は一応『ノート校訂版』からなされているようであるが前述したように「校訂版」の諸草稿を系統的に検討していれば前述のような致命的な誤りを犯さずにすんだであろう。
ベラミーは第6章の結語でつぎのように述べている。「国家と市民社会との、自由と権威との緊張にこそ、政治の、したがってまた民主主義の、本質的な必要性が見出される。この事実を認めなかったことが、グラムシの踏まえたマルクス主義の伝統とイタリアの政治の伝統との、双方にとっての悲劇のもとであった。その結果として、両者は最近のもっとも抑圧的な国家システムのいくつかを生じさせることになったのである」(257ページ)。ベラミーの論旨からすれば「抑圧的な国家システム」とは「全体主義的国家システム」を含意すると考えられるが、グラムシを「全体主義的」志向性をもった思想家とする著者の論調からすればグラムシも間接的にそれに加担したというニュアンスである。しかしながらすでに述べたごとくベラミーの論旨は、グラムシの草稿の内容を大きく歪曲することによって「構築」されたものであり、ベラミーの論法を借用すれば「詭弁」的なのはグラムシではなくベラミーのほうであるといわざるをえない。
*他の論点も含むベラミーの見解の問題点については筆者による書評(「立命館産業社会論集」第48巻、第3号、2013)を参照されたい。


松田 博(立命館大学)

By staff on 2013/01/10 13:01
「過去90年間のあいだグラムシについて様々な解釈がおこなわれてきた。彼の同時代人の諸々の評価から彼の名声が世界的な普及をみるにいたるまで、そして、幾多のマルクス主義やマルクス主義者たちが予告を受けた没落の道を歩み始めたかに見えた前世紀90年代以降とくに、幾多の解釈・討論・論争に接するにあたり、さしずめ本書は、読者が自らの立ち位置と方向をたしかめるためのマップであるともいえよう。
本書で語られ説明されているのは、この間に連綿とあらわれたグラムシ解釈についてである。ゴベッティやプレッツォリーニからトリアッティ、ボッビオからアルチュセール、とくに英語圏で普及した現代のカルチュラル・スタディーズやサバルタン・スタディーズにまたがり、さらに著しく政治的な諸解釈や最近イタリアの学界ならびにマスメディアで生じた歴史ならびに文献研究に関する論争など。本書を通読することで見えてくるのは、20世紀イタリアの政治文化の歴史であるが、それはまた、イタリア政治文化が今世紀の世界文化へ伝え得る遺産のなかのもっとも意義深い側面の一つでもあるだろう。
グラムシの存在と彼の独創性の諸理由を理解することは、イタリア左翼が生まれた由来とともに、世界における批判思想とマルクス主義の今日における潜在力が何であるか理解するためには、避けて通れない一里程標ともいえるであろう。
したがって本書は『獄中ノート』の執筆者グラムシの考え方を理解するだけでなく、前世紀の批評文化の歴史を概観するためにも有効な方法を示唆する案内書である。本書は1996年刊行の初版でおこなわれた分析を15年間さらに延長して「新改訂増補版」として刊行された。新版を読むことで読者は、グラムシ思想が新自由経済主義的ヘゲモニーに首尾よく抵抗し得た理由は何かについて、それだけでなく、今日ではグラムシ思想が世界的規模の左翼のための〈拠り所〉を代表し得る理由は何かについても、しることができるであろう」

著者紹介:カラブリア大学で現代政治思想史を教える。国際グラムシ学会(IGS)イタリア支部長、政治文化雑誌『クリティカ・マルクシスタ』編集長、ファビオ・フロジーニとともに『獄中ノート』セミナーを企画、指導。主要著書:『グラムシ読書案内』(2005年、キアーラ・メータとの共著)、『グラムシへの険しい道』(2006年)、『イタリア共産党の死』(2009年、フランスでも出版)、2009年パスクァーレ・ヴォーツァとともに、『グラムシ事典 1926-1937』を編集(世界各国の60人専門家が600以上の項目を執筆)に従事。

Guido Liguori グイド・リグォーリ
Gramsci conteso 「グラムシ論争史」
Interpretazioni, dibattiti e polemiche 解釈・討論・論争
1922-2012
Nuova edizione riveduta e ampliata 新改訂増補版
Editori Riuniti university press エディトーリ・リウニーティ大学出版

Indice 目次
Prefazione alla seconda edizione 第2版への緒言 p.11
Introduzione alla prima edizione 初版への序文 p.15

Ⅰ.Gramsci negli scritti dei suoi contemporanei (1922-1938)
第1章 同時代人の著書におけるグラムシ p.21

1.Storia di un comunista sardo scritta dai liberali
リベラル派によって書かれたサルデーニャの共産主義者の歴史 p.21
2.Fuori dalla《strada maestra》
《王道》から外れて p.26
3.La condanna
有罪判決 p.27
4.I l carcere
幾多の獄舎で p.34
5.La morte
死 p.39
6.《Antonio Gramsci capo della classe operaia italiana》
《イタリア労働者階級の指導者アントニオ・グラムシ》 p.43
7.《Una perdita irreparabile》
《取り返しのつかない損失》 p.48
8.Tra Carducci e Pascoli
カルドゥッチとパスコリの狭間で p.51

Ⅱ.I dentita e tradizione di partito(1939-1947)
第2章 党の諸アイデンティティーと伝統(1939-1947) p.55

1.Gramsci e Togliatti
グラムシとトリアッティ p.55
2.Il《partito nuovo》e gli intellettuali
《新しい党》と知識人 p.59
3.La《politica di Gramsci》
《グラムシの政治学》 p.68
4.Politica e cultura
政治と文化 p.78
5.Tra Croce e Marx
クローチェとマルクスの狭間で p.82

Ⅲ.Il《Diamat》e i《Quaderni》(1948-1955)
《弁証法的唯物論》と《獄中ノート》(1948-1955) p.89

1.La guerra fredda e i Quaderni del carcere
冷戦と獄中ノート p.89
2.L'《antifascismo》di Gramsci
グラムシの《反ファシズム》 p.96
3.Le letture dei Quaderni
獄中ノートのいろいろな読み方 p.99
4.Marxismi dogmatici e non
諸々の教条的マルクス主義及び非教条的マルクス主義 p.105
5.Dissonanze
不協和音の数々 p.111
6.La storia del Pci
イタリア共産党の歴史 p.116
7.Un compagno nella leggenda
伝説の中の一同志 p.121
8.Primi bilanci e nuove prospettive
最初の総括および展望 p.127

Ⅳ.Gramsci e la via italiana al socialismo(1956-1959)
グラムシと社会主義へのイタリアの道(1956-1959) p.133

1.1956
1956年 p.133
2.《Troppo poco gramsciani》
《余りにも少ないグラムシ派》 p.139
3.Attualita di Gramsci
グラムシのアクチュアリティー p.145
4.Gramsci e il leninismo
グラムシとレーニン主義 p.148
5.Il convegno di Roma
ローマ研究会議 p.152
6.Il《ritorno a Marx》
《マルクスへの回帰》 p.159
7.La citta future
未来都市 p.161
8.La polemica sul Risorgimento
リソルジメント論争 p.165

Ⅴ.Dalla《nuova storia》del Pci alla crisi dello storicismo(1960-1969)
イタリア共産党の《新しい歴史》から歴史主義の危機(1960-1969) p.169

1.L'ultimo Togliatti
晩年のトリアッティ p.169
2.La《nuova storia》del Pci
イタリア共産党の《新しい歴史》 p.175
3.Tre biografie
三つの伝記 p.178
4.La《giovane critica》
《若い批評家》 p.184
5.La crisi dello storicismo
《歴史主義の危機》 p.190
6.Gramsci e la societa civile
グラムシと市民社会 p.197
7.La《storicizzazione》di Gramsci
グラムシの《歴史化》p.203
8.Nel movimento comunista internazionale
国際共産主義運動で p.206
9.Lo storicismo e il Pci
歴史主義とイタリア共産党 p.208

Ⅵ.L'eta d'oro(1970-1975)
黄金時代(1970-1975) p.215

1.Gramsci rimesso sui piedi
再び立ち上がるグラムシ p.215
2.Operaismo e americanismo
労働者主義とアメリカニズム p.219
3.Gramsci soviettista
ソヴィエト主義者グラムシ p.221
4.Il concetto d'egemonia
ヘゲモニー概念 p.223
5.Il primato della politica
政治の第一義性 p.227
6.Il marxismo di Gramsci
グラムシのマルクス主義 p.231
7.Gramsci e lo Stato
グラムシと国家 p.235
8.Gramsci e la《nuova sinistra》
グラムシと《新左翼》 p.239
9.L'《edizione Gerratana》
《ジェッラターナ版》 p.248

Ⅶ.Apogeo e crisi della cultura gramsciana(1976-1977)
グラムシ文化の頂点と危機(1976-1977) p.251

1.La discussione sul pluralismo
多元主義に関する討論 p.251
2.Egemonia e democrazia
ヘゲモニーと民主主義 p.253
3.Il seminario di Frattocchie
フラトッキエ*のセミナー p.260 (*)イタリア共産党の中央党学校があった場所の名前
4.Il convegno di Firenze
フィレンツェの研究会議 p.265
5.La crisi
危機 p.269

Ⅷ.Dieci anni《a luci spente》(1978-1986)
《風前の灯》の10年(1978-1986) p.273

1.Nella crisi del marxismo
マルクス主義の危機のなかで p.273
2.Gramsci《organicista》
《有機体論者》グラムシ p.274
3.Previsione e prassi
予見と実践 p.279
4.Gli intellettuali e il potere
知識人と権力 p.284
5.Interpretazioni dell'egemonia
ヘゲモニー解釈のいろいろ p.287
6.Nella《fabbrica》dei Quaderni
獄中ノートの《工房》で p.290
7.Gramsci, la religione, i cattolici
グラムシ、宗教、カトリック教徒 p.294

Ⅸ.Tra politica e filologia(1987-1996)
政治と文献研究学の狭間で(1987-1996) p.303

1.Gramsci e il Pci nel 1987
グラムシと1987年のイタリア共産党 p.303
2.Gramsci nel mondo
世界のグラムシ p.306
3.Il cinquantenario di un《classico》
《古典的作家》の50周年 p.310
4.Gramsciani e post-gramsciani
グラムシ派とポスト・グラムシ派 p.314
5.Tra politica e storia
歴史と政治の狭間で p.319
6.Gramsci post-comunista
ポスト共産主義者のグラムシ p.322
7.Gramsci, Togliatti, Stalin
グラムシ、トリアッティ、スターリン p.328
8.Gramsci, Tania, Sraffa
グラムシ、ターニャ、スラッファ p.333
9.Verso nuove edizioni delle opere di Gramsci
グラムシ著作集の新版に向けて p.336

Ⅹ.Liberaldemocratico o comunista critico?(1997-2000)
自由民主主義者か批判的共産主義者か? p.345

1.Nazionale-internazionale
ナショナル―インタナショナル p.345
2.Il ritorno della societa civile
市民社会の回帰 p.350
3.Taylorismo e fordismo
テイラー主義とフォーディズム p.355
4.Il metodo di Gramsci
グラムシの方法 p.359
5.Storia di un prigioniero
囚われ人の歴史 p.362
6.Il Gramsci conteso di fine millennio
20世紀末の論争のグラムシ p.366

Ⅺ.Gramsci nel Duemila(2000-2008)
2千年のグラムシ p.373

1.Per Gramsci
グラムシのために p.373
2.Ricerche gramsciane
グラムシ研究 p.380
3.La traducibilita di Gramsci
グラムシの翻訳可能性 p.389
4.Un rinnovato interesse
新たな関心 p.396
5.Gramsci e la politica
グラムシと政治学 p.402

Ⅻ.Il ritorno di Gramsci(2009-2012)
グラムシ回帰(2009-2012) p.411

1.Nuovi strumenti di lavoro
新しい討論の道具 p.411
2.Sulla《filosofia della praxis》
《実践の哲学》について p.421
3.La《fortuna》di Gramsci
グラムシの《幸運》 p.431
4.Usi creativi
創造的語法の数々 p.435
5.Le storie e la storia
諸歴史と歴史 p.440
6.Il percorso politico e teorico degli anni del carcere
獄中期の政治的・理論的道程 p.446
7.Il futuro di Gramsci
グラムシの未来 p.458

Indice dei nomi
人名索引 p.461
By staff on 2012/10/03 8:28

『グラムシとイタリア国家』R・ベラミー/D・シェクター著
(2012年5月 小池・奥西・中原訳 ミネルヴァ書房)

原書は1993年刊である。それぞれのグラムシ像の再検討を迫る、刺激的で挑戦的なグラムシ研究書である。前半の三つの章が、当時のイタリアの政治と思想界の状況のなかでのグラムシの思想形成史(第一章政治的修養の時代、第二章評議会など赤い2年間、第三章イタリア共産党と反ファシズム闘争)であり、後半の三つの章が、『獄中ノート』におけるグラムシの主要な思想の批判的考察(第四章史的唯物論とクローチェの歴史主義、第五章ヘゲモニー・国家・党、第六章イタリア人の形成:リソルジメントと新秩序)である。

 第一章では、クローチェやラブリオーラ、ジェンティーレの影響、サンジカリストとの関係、ロシア革命の衝撃がグラムシに与えた影響などが追跡される。第二章では、工場評議会においてグラムシが抱いた思想、「生産者国家」=有機的全体としての生産システムの構想がとりだされる。工場評議会の敗北から、工場の外部に政治的指導部をもつ必要性の認識に至り、新しいタイプの政党=共産党を構想するにいたる経過などが検証される。第三章は、イタリア共産党とコミンテルン、イタリア国家をめぐる当時の政治闘争の経過とグラムシの活動を詳細にたどる。グラムシの投獄直前の問題意識は「共産党が南部の土地所有者と北部の企業経営者のブロックをばたばらに分断して、プロレタリアート諸勢力の新しい歴史的ブロックを構成するうえで、知識人や社会的諸集団の自律性と独立性をどのように尊重できるか」、この重要な問題への解答にとりかかるのが『獄中ノート』であった、ととらえる。

第四章では、観念論と唯物論との、主観性と客観性との、さらには国家と社会との二分法を止揚するのがグラムシの望みであり、それは成功したかと問う。それを検証していく。
ここではブハーリンの『史的唯物論』とクローチェの歴史主義とが批判の対象とされる。第五章は「ヘゲモニー論」の検討である。ここでも史的唯物論とクローチェの歴史主義を融合させようとするグラムシの方法論的意図が成功したか、検証されていく。第六章では、イタリアの政治的伝統において特徴的なヘーゲルとマキアヴェッリとの妙な取り合わせとグラムシの思想との関連、イタリア人の国家論における「力」と「同意」との弁証法、イタリアの理想的統一国家の諸モデルの影響を受けたグラムシの新秩序構想などが分析されていく。

本書の意図は、大戦前のイタリアへグラムシの思想を連れ戻し、埋め戻す、すなわち、イタリアの政治の伝統と社会および制度の諸構造との、グラムシへの影響、を吟味することにあるとされている。

本書には、すでに、上村忠男氏から自説であるグラムシ=全体主義者=<組織された生産者社会という20世紀の夢の抱懐者>という立場から積極的な賛同の評価が寄せられている。上村氏がいう「鋭い批判的な問題意識を綿密な論証がうまく支えていてみごとである」(「週刊読書人8.31付」)という評価は私も同感であり、論述の緻密さはひじょうに勉強になる。しかし、数多の批判的問題提起については一つ一つ吟味が必要となろう。その際、グラムシは『獄中ノート』のなかで、「20世紀=組織された生産者社会」の思想を超える視野と視点を、どれくらい豊かに考察しているかの解明がカギとなると考える。
(東京グラムシ会・宮下)

By staff on 2012/10/03 5:25

論文:鈴木信雄「スミス・マルクス・グラムシと『市民社会』」

  この論文は2012年5月に発刊された古川純編著『「市民社会」と共生―東アジアに生きる』(日本経済評論社、3000円)の第1章である。内容は、はじめに。1.商業社会としての市民社会。2.マルクスの市民社会認識と市民社会派マルクス研究。3.グラムシの市民社会論の先駆性。の3部から成っている。今日の現実に生起している社会運動とグラムシ思想との関連を、市民社会概念の歴史的発展過程をたどることによって明快に説いている。論述はアカデミックで精緻を極めているが、論旨は明瞭、重要な問題提起である。 

 この書物は全9章からなるが、第2章は山田勝「変革主体としての社会―「社会をつくる」思想の源流と歴史、第8章は古川純「『市民社会』論と『世間』論の交錯」、第9章には「対談:山田勝=古川純―『変革主体としての社会』論と現代日本社会」が収められている。鈴木信雄氏の論文は、NPO法人「現代の理論・社会フォーラム」の中心メンバーである古川、山田両氏の変革主体をめぐる真摯な討論の背景を思想史的に裏づけているという意味も持っており、グラムシ研究者にとっても社会運動の実践者にとっても見逃すことの出来ない好論文である。なお第7章には丸山茂樹『韓国の市民社会』の現段階とヘゲモニー闘争」がある。ソウル市長選挙の勝利、国会議員選挙の敗北、今年年末の大統領選挙を前にして韓国の市民社会に内部で如何なるヘゲモニー闘争が展開されているかを論じている。(S.M.)